サイバネティクスやロゲルギストの世代が計算機科学を受け入れられず、抵抗して構想したのが情報学だと思ってる。なんとか情報学部が全国にできたのは、情報学で計算機科学を上書きしたことにも責任がある #ipsjsss
— Shinji R. Yamane (@shinjiyamane) 2014, 8月 25
というツイートを見た。ハッシュタグも付いているように、学会の研究会のシンポジウム(情報処理学会のコンピュータと教育研究会の情報教育シンポジウム)中のtsudaりツイートであるため文脈から切り離すのは難があるにしても、この言われようにはどうにも違和感がある。(ディスクロージャというわけでもないが、私の指導教官の指導教官の指導教官が高橋秀俊先生である(従って曾孫弟子にあたる)ことは表明しておく必要があるかもしれない)
関連する話題は多岐にわたるため、以下はアラカルト的になる。
ジョークとしては、コンピュータよりも前からコンピュータ科学は存在した、などとも言われるけども(よく知られている「最古のアルゴリズム」がユークリッドの互除法であるように。それは別格としても、チューリングらによる計算可能性の研究は1930年代である)、コンピュータ科学という分野がはっきりと確立したのは実際のコンピュータの建造から、そんなに早かったわけでもないようである。
クヌース先生が1974年にチューリング賞を受賞され、その受賞講演 "Computer Programming as an Art"( http://www.paulgraham.com/knuth.html )の冒頭で art と science という語について触れている部分で、1959年にACMの学会誌、CACMことCommunications of the ACM創刊の際に目標として、プログラミングの science の確立ということが強調されていることを述べている。それを評して Meanwhile we have actually succeeded in making our discipline a science, and in a remarkably simple way: merely by deciding to call it "computer science."(我々は science の確立に成功したし、とても簡単だった: 単に "computer science" と呼ぶとしたことだけで。)というのは一面の真実ではあるだろうが、クヌース先生一流のジョークかもしれない。
ともかく、この記述からは1959年の時点で "computer science" はまだそんなに確立していなかったことがわかるし、翌1960年に日本の情報処理学会ができたわけだから、CSの確立と「情報」の語の広まりは同時進行的だったといえるのではないだろうか。
(また、もはや諦められている感があるが、ACMの C と M すなわち computing machinery = 計算機械 という語は、こだわる向きもあるとはいえやはり古い(これも講演集を読んでいると賛否ある感がある))
「情報」については、サーベイの報告は過去いくつかあるが、情報処理学会の創立45周年記念特別寄稿として学会誌『情報処理』に載った、小野厚夫先生による「情報という言葉を尋ねて」をまずは参照すると良いだろう。特に戦後期については、その(3)( http://id.nii.ac.jp/1001/00065360/ )にまとまっているが、いくつかつけ足したい(なお、yamashita.html も参照)。
1960年に「情報処理学会」という名前で新しい学会が発足した、というのは歴史上重要な意味があったであろうと思うが、その発足に際して強い信念で「計算(機)」ではなく「情報(処理)」の語を付けさせた人物が居た、ということを抜かしてはこの話題は進められないだろう。和田弘氏である(パソコンユーザーには「HHKの和田先生」などで知られる和田先生は和田英一先生である)。
学会設立前後に関する詳しい話を『計算機屋かく戦えり』(ハードカバー版 pp. 86〜87 )から以下に引用する。
「まぁ、学会はね、今後そういう意見交換の場が必要になるだろうから、というので作ったんですよ。みんなが計算機学会にする、というから、情報処理という名前にしろといったんです。だって、計算しかできない計算機なんてゴミですよ。そうじゃなくて、これからは文字を含めた情報を処理させていくんだ、と。(略)」
(学会誌創刊号に載せた「計算をしない計算機」(英題の Computers for non-numericaluse のほうが意図はよく見えるだろう)http://ci.nii.ac.jp/naid/170000006192 は、創立総会で講演もしたという)
「みんなは笑ったんです。自分のところの計算機だけ動いて、ほかのはひとつも動かないから、ほかの会社の計算機への当てこすりをいうつもりだろうと。私がそんなことをいったのは、計算機を使う数値計算の専門家が、コンピュータは自分たちの道具だよという顔をしてのさばっているのがしゃくだったからでもあるんです。おまえらが使う機能なんてごく一部分だ、計算なんかと関係なく処理すべきことがいくらでもあるんだと、そういいたかったんですね」
(きしもと注: 「自分のところの計算機だけ動いて」というのはETL Mark IIIとETL Mark IVを指している。どちらもプロジェクト開始から約2年弱で実稼働という、当時としてはきわだった成果である。文字を含めた情報を処理...というくだりは「計算をしない計算機」や機械翻訳専用機「やまと」を参照。また「のさばっている数値計算屋」もなんとなく想像が広がるが、流石に憶測に過ぎるので想像にとどめておく。なお「数値計算をもっと重視すべし」「いや、現状でも重視され過ぎだ」という議論は世界のトップクラスのコンピュータ科学者の間でも百家争鳴のようだと『ACMチューリング賞講演集』からは感じられるように思う。また、数値計算と文字列といったような性質の異なる処理全てを一種類のコンピュータでまかなおうとしたのは1964年のSystem/360以降であり、この頃のコンピュータはほぼ、どちらかに重点を置いた設計だったという点も考慮の必要があると思う)
あるいは、情報処理学会がまとめた「学会30年のあゆみ」((PDF)http://www.ipsj.or.jp/50anv/50nenshi/data/pdf/0101.pdf )には、高橋茂先生の言葉でこうある。
今日ではこの情報処理という言葉が広く普及して,これに抵抗感を持つ人はほとんどいない.当時は「情報」からまず「スパイ的行為」を,「処理」からは「汚物処理」を連想して反対する人が多く,筆者もその一人であった.これを押し切ったのは和田で,今日この用語が日本語にない場合の不便さを想像するとき,同氏の先見の明に改めて敬意を表したい.
また、1959年にパリでInternational Conference on Information Processingという国際会議が開かれ、翌1960年にユネスコがInternational Federation for Information Processing(IFIP)という国際組織を組織したわけだから( https://en.wikipedia.org/wiki/International_Federation_for_Information_Processing )日本ばかりが「情報処理」という(変な?)方向に走ったわけではなく、国際的に information processing というものはもうこのころには意識されていたわけである。
和田弘氏については他にも興味深い話が多いが、それらについてはまた別にまとめるつもりでいる。
情報理論を確立したシャノンの『通信の数学的理論』は偉大であるけども、むろんその下敷となる確率論はそれ以前の多くの数学者(コルモゴロフら)たちによるものであったわけだし、また、同論文の書籍版(脚注1)で付された解説「通信の分析的研究の一般的背景に関する導入的研究」の最初の脚注によれば、「シャノン博士本人が力説するところによると,通信理論はその基本的な哲学において,ノーバート・ウィーナー(Norbert Wiener)教授に追うところがたいへん大きい.(以下略)」とあり、情報理論とサイバネティックスとは、背景としては共通するものがあったとして良いだろう。
「ロゲルギスト」が、ロゴス+エルゴンから来ているように、私には情報を現実のコンピュータで扱う、という点に高橋秀俊先生の興味もあったのではないかと思うのだがどうだろうか。(「ビュリダンのロバ」を引いて、metastabilityについて注意を促していることなど。余談)
小山俊士先生の「情報科学の形成--高橋秀俊を中心に」( http://ci.nii.ac.jp/naid/40006632380 )に、「物理屋としての抵抗」といったような話がある、というのだが、先日理7図書室のParametron Archivesで目を通してみたが、時間をゆっくり取れなかったためもあるかもしれないが、いまいちピンとこなかった。
(パラメトロンについて、「動くコンピュータ」を完成させプログラミングの機会を早期に提供できたことを評価する一方で、拘ったことで遅れをまねいたかもしれないといったようなことも言っていたという証言も『科学』(岩波)の対談記事にはあるのだが、前述の和田弘氏が、パラメトロンは原理上速さに限界があるのは致命的な欠点、としてトランジスタに邁進したので、日本全体としては結果としてかなりの早さで世界(というより米国)に追い縋ることができており、結果論ではあるがバランスは取れていたのではないかと思う)
「情報科学」の語は(「情報学」については別の節で詳しく扱う)1960年に理研に作られ高橋秀俊先生が就任された情報科学研究室がほぼ初期のもの(前述の「情報という言葉を尋ねて (3)」に、岩波講座情報科学からの引用がある)というから、「情報科学」を広めた祖ではあるということにはなるであろう(詳しいニュアンスは確認しそこねたのだが、Parametron Archivesにある後藤先生の追悼文集に収められた談話の一つに、この理研の研究室名が「情報科学」の初出であるとしてよい、というくだりがあった)。
「情報工学」については今のところ(私が)情報不足だが、大学などのそれは工学部の学科なので「〜工学科」という名前にしたい、という程度の動機で多用されたのではないかと思っている(工学部の気質といった話もあるが略す)。「〜尋ねて (3)」にはこの話題で東大の計数工学科の話も出ているが、同学科については、1945年のまだ帝大時代に発足した第一工学部計測工学科の存在という前史があるため( http://www.keisu.t.u-tokyo.ac.jp/outline/history_ipc/ )多分話はそう簡単ではないはずである。
私の見聞でも、1977年度設立の農工大工学部「数理情報工学科」(現: 情報工学科)に「数理」と付いたのは、天下の工学部に「情報」とは何事だ、というような政治的な都合から、「数理」なら「物理」の1文字目を「数」に変えたみたいでそれっぽいだろうという理屈だった、というような話を聞いている(そのとって付けた「数理」の頭文字 S に由来する「 S 科」という略称が、その後大学科制(電子情報工学科コンピュータサイエンスコース)やら教養部の分割吸収(情報コミュニケーション工学科)やらという幾度の改編の波をものともせず、今も「 S 科」として通用し続けている(らしい)のは歴史の皮肉のような感もある。もっとも他学科の学部生などはCSのSだと思っているかもしれない)。
やはり「〜尋ねて (3)」にある岩波講座情報科学からの引用で触れられているが、"Library and information science"「図書館情報学」という言葉があり、それの英語に含まれる information science が直訳すると「情報科学」であるため、かなりの混乱が起きているように思われる(単純に、日本語訳で「図書館情報学」とすべき所を「図書館と情報科学」としてしまっている例などはさがせば数限りなくあると思われる)。
さらに語感としてはむしろこちらのほうが「情報学」に近い informatics という語があって、しかも実際にバイオインフォマティクスなどは生命情報学と訳されるわけだが、コンピュータ科学ないし日本の「情報科学」に近いのはむしろ informatics のほうである場合もあるようで、このあたりは実は国際的広がりで混乱の極みと言うしかない状況になっている。
"Library and information science" は1960年代ごろ広まったようである。日本では慶応で図書館学科が図書館・情報学科に改称したのが1968年である。
「図書館〜」という文脈から離れて「情報学」という言葉が使われているのが確認できるものとしては、1968年に岩波の雑誌『科学』に「視覚による情報学」という記事があり、1969年に「情報学の論理 : 制御から創造への新次元」という書籍がある。また少し違うが、1965年頃に「東京情報学術会議」という会議があったようである。また「情報化社会」という語について、新明解第2版(1974)に辛辣な語釈がある。
"information science" についてはよくわからないが、前述のクヌース先生の受賞講演の中に、やはりジョークの一部という感じではあるが、ある大学を訪れた際に「右: information science」「左: 受付(information)」という案内の掲示があった、という話があるので、1970年頃には使われていたようである。ただ、結果論としてはコンピュータ専攻の分野名として現在、computer science が国際的には圧倒的であることは確かだろう。
コンピュータ科学という語への抵抗としては、BNFのNであるピーター・ナウア先生が、過度の形式化への反発などから datalogy と呼ぶべきとしていて、デンマークとスウェーデンではその影響があるという(Wikipedia(en)などによれば)。
近年は国立情報学研究所など、良く聞く言葉になったが、'77年生まれの私がアスキーの本などを読んでいた昔の印象としては西垣通先生やその周辺の印象がある。
ここからはほぼ私の「感想」になるのだが、大学の学科名などで「情報」の付いた語が便利に使われたのには、「計算機」という言葉の微妙さがあるのではないかと考えている。いわゆる「コの業界」では、さらにアカデミアではその自乗ぐらいで、「コンピュータ」と「計算機」という語はほぼ同じ語として、日常、特に口語や訳語では使われている。しかし、「計算機」には英語の computer と calculator の両方に相当するものが縮退してしまう、という問題があり、書き言葉では「計算器」とする場合もあるものの(たとえば商標の「タイガー計算器」という例もある)やはり無理がある。一応はジョークだがわりと実際にありそうな話として、学生が実家に電話して「僕の机の上にある計算機を...」と伝えようとしたところ「あんたの机に電卓なんて無いけど?」と返事があった、というように、「計算機」という語でコンピュータのことを指すのは必ずしも一般的ではない。
コンピュータというような横文字を伝統ある()大学の学科名に使うことは避けたい、とはいえ「計算機」では電卓の印象もあり(「コンピュータ」が誰もの身近なものになるには1970年代のマイコン革命を経て'80年代を待たねばならないことを思い出してほしい。電卓は1960年代に誕生し'70年代には一般家庭にまで普及しており、10年の差がある)、となると自然に、それっぽい漢語であった「情報」の付いた語が使われたのではないか、と思うのである。
TBD
TBD
中西輝政先生らの一派が、espionage(ないしintelligence) historyを「情報史学」と呼んでいる。
脚注1: 邦訳ではどちらも単に「通信の数学的理論」だが、原題では、BSTJ収録(等)の初出版では A Mathematical Theory of Communication、書籍は The Mathematical Theory of Communication のように、表面的には僅かだが深い違いがある。